雲の上への扉

世界観

部屋の中がコーヒーの香ばしい香りで満たされる。
いつも職場で飲んでいるインスタントとは物は違うとはいえ、空気中に漂ったコーヒーの香りにはそれほど違いはないようだ。


「お泊り会の時の話をしていたんですか?」


私がカップを置くのと同時にツキコが言った。
どうやら私がコーヒーを飲む間、話を待っていてくれたらしい。
彼女はコーヒーにたっぷりと砂糖とミルクを溶かし、しかしそれを飲まずにテーブルの上に置かれたタブレット端末に手を伸ばした。


「そうだよ。
交流会の話をしていたんだけれど、せっかくだから様子を見せてあげようと思ってね」

「ふむ。
それで、どうして私の話になったんです?」


ツキコは手に取ったタブレット端末の画面を見て、テーブルに戻す。
何を見ていたのか確認しただけのようだ。
見られるとまずいものがあるというわけではないだろうが、きっと自分の話をしていたから気になったのだろう。


「ツキコさん以外にも女性の参加者がいるんですねって話をしていたんです」


私は答える。


「ああ、モカさんですね」


女性と言ったことで、誰の事だかすぐに検討が付いたようだった。
やはりあの写真で前列に座って居るのはすべてラブドールで、後列が生身の人間だったのだ。


「モカさんと仰るんですか。
変わったお名前ですね」


私の発言を聞いて、モカという名前が出てから複雑そうな顔をしていた南野が咽せ、ツキコは目を開いてハッとした顔をした。
名前を聞き間違えてしまっただろうか。
二人がなぜそんな反応をするのかわからない私は狼狽える。


「本名ではないですよ?
あー、っと、ハンドルネームなんです。
インターネット上とか、こういう集まりで使う活動名ですね」

「ああ、なるほど。
そういう世界なんですね」


ツキコに説明されて事情が飲み込めた私は恥ずかしくて思わず手で顔を覆い、その仕草が年甲斐もない気がして恥ずかしくなり顔を拭ったふりで手を降ろした。
何故言われる前に気付かなかったのか、少し考えればわかりそうなことだったのが悔やまれる。
もう少し突拍子もない名前だったら私も気付いただろう。
普通に名前として在りそうな雰囲気だったから良くなかったのだと私は心の中で言い訳をした。


「東谷さんって、少し天然な所があるよね」


南野が楽しそうに笑う。


「いや、そんなことはないですよ。
その、なんていうか馴染のない文化だったもので」

「はは、だよね。
ちなみにツキコちゃんもハンドルネームだよ」


そう言われて私はツキコの方を見る。
彼女は私と目が合うと、そうだと言うようにこくりと頷いた。
あまりにも自然で気が付かなかった。
南野が普通の様子で当然のようにそう呼ぶからもあるだろうが、彼女は何所かミステリアスで、ツキコと言う名前がしっくりくるのだ。


「そうだったんですね、あの、もしかして南野さんも?」

「いやいや、私は本名だよ!」


南野は顔の前で手を振った。

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