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連続小説

素知らぬ顔

流れからして、彼もそうなのかと思ったのだが、私の予想は外れた。
もっともそうだという確信があったわけではない。
だがツキコの件で名刺にあった南野一成と言う名が本名ではないかもしれないと疑念を持ってしまったのだ。
結果的に彼は本名だということだが、こういった活動をしているからと言ってすべての人がハンドルネームと言うわけではないようだ。


「南野さんは南野がハンドルネームみたいなものですからね」


ツキコが口を挟むとすかさず南野が応対する。


「ちょっとそれよくわからないからね!」

「そうですかねぇ」


彼女はコーヒーに追加で砂糖を加え、素知らぬ顔でスプーンを回した。
さっきも砂糖を入れていたが、忘れてしまったのだろうか。
それともまだ一口も飲んでいないコーヒーだが、もっと甘くしたくなったのだろうか。


「まったくもう」


南野は息を深く吐いた。
大きな声を出して疲れたようだ。


「疲れた時は甘いものですよ」


ツキコはそう言ってスプーンを置き、混ぜ終えたばかりのコーヒーを目を閉じてゆっくりと飲み始めた。
それに倣ってか南野も砂糖の瓶に手を伸ばし、飲みかけのコーヒーに2匙入れ混ぜる。
普段私はコーヒーに砂糖を入れないのだが、二人を見ていると何故だか私も入れなければいけない気がして、南野が戻した砂糖の瓶に手を伸ばした。
入れ慣れていない砂糖をいくつ入れようか迷っているうちに、南野はコーヒーを飲み終えたようだった。


「皆が皆ハンドルネームと言うわけではないんだよ。
まぁ、使っている人の方が多いけどね。
ハンドルネームの方が個人情報的に安全だし、リアル・・・現実の生活とは切り離された全く別の自分になれるっていうメリットがある。
私は本名の方が何かと都合がいいから本名を名乗っているけどね。
あ、さっき言ったペンションのオーナーも本名を名乗っているよ。
他にも何人かいるかな、ああ、でも、本名を使っている人はビジネスが絡んでいる人が多いかもね」

「ふむ・・・」


話を聞きながら私はようやく砂糖をひと匙に決め、コーヒーに入れた。
スプーンでぐるぐると濃い色を混ぜていると、ふと、モカと言うのはコーヒーの種類だっただろうかと気になった。
あまりコーヒーには詳しくないのだが、聞いたことがある気がする。
コーヒーが好きな方なのだろうか、それとも他に由来があるのだろうか。
もしかしたら本名にちなんでということもあるかもしれない。
突然なぜそんなことを思ったのか。
それはたぶん、今の話の影響だろう。
彼の話を聞いていると、私も何かハンドルネームを考えた方がいいのではないかと思ったのだ。


「私も何か考えた方がいいですかね?」


私は南野に訊ねた。
ここまで散々本名で呼ばれている手前今更ではあるが、この機を逃すときっと今後ずっとこのままになってしまうだろう。

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