雲の上への扉

自分にはない世界

男が差し出したそれは、名刺だった。
右側にシンプルな白いサマードレスを着た女の写真が印刷されており、左寄せでドールハウス南野という文字と、その下に男の名前と女の名前が入っている。
私はそれを恭しく受け取った。


「これはご丁寧に、どうも」
「いえいえ、せっかくなんでね」


どうやらこの名刺によると、その男は南野一成と言うらしい。


「いやぁ、まだ夏仕様なんですがね」


ははは、と男、南野は笑いながら頭を掻いた。
夏仕様というのは、この名刺のことだろうか。


「その写真もここで撮ったんですよ。
基本的にここ、この時間になるとあんまり人も来ないし静かでしょ。
だからよく使わせてもらうんですわ」
「なるほど、このドールハウス南野ってのはお宅・・・南野さんの会社かなんかで?」
「いやいや、それは会社というかまぁ、サークルですわ。
趣味が高じていろいろやらせてもらってましてね。
ドールの・・・この子たち、所謂ラブドールってやつなんですが、それの写真集なんかを作ってまして」
「写真集、ですか」
「ええ、こうして外で撮ったり家で撮ったりした写真を冊子にして、ね」


南野はスマホを取り出すと冊子の画像を私に見せた。


「これを趣味で?」


そこそこ立派な冊子に私は思わず驚く。
趣味というからもっと慎ましいものを想像していたが、それは結構しっかりとしたものに見えた。


「ええ、これはデータを用意して、それを印刷所なんかに頼むんですがね。
こうして製本もするんですが、最近は電子書籍なんかも作ってまして」


南野が語る。
なんとも未知の、自分の中にはない世界だった。
南野は時折照れくさそうにしながらも、生き生きと目を輝かせて自分の趣味の話を語るのだ。
不思議とそれは嫌ではなく、むしろもっと知りたいと思った。


「もし興味がおありなら、うちのサイトなんかも見てみてください」


南野が名刺の下の方を指さす。


「サイトもあるんですか」
「ええ、写真集に乗せた写真の差分とか、日常の写真なんかも載せてましてね。
良かったら、ぜひ」
「おお、帰ったら拝見します」
「ぜひ!よければ感想なんかもらえると」
「はは、まぁ時間があれば」


その後二言三言交わして、私は家路に戻った。
角を曲がり、よく行くコンビニの前を通り過ぎる。
公園から数メートルの距離にある古いアパート、その2階にある一番奥の一室が私の家だ。
手すりの錆の目立つ階段をゆっくり上がっていく。


「ああ、そういえば名前を名乗るのを忘れていた」


家の前まで来て、今更そんなことを思った。
南野の勢いに流されるままというのもあったが、言うタイミングはあっただろうに。
いつもこうしてどこか抜けてしまうのだ。
後になって思い返し、それが嫌で仕方ない。
私はため息をついた。


「まぁ、いいか」


どうせいつものこと、今更仕方ない。
私は家の鍵を開けた。

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